【職人探訪 vol.3】上杉學師「彫漆と淺吉砥石」
写真提供/上杉満樹工房
木地(轆轤・指物)、下地、塗り、蒔絵。
上杉満樹工房は、分業制が敷かれる京都では珍しく、全ての工程を家族で一貫生産できる数少ない工房。代々、指物木地師として京漆器を支えてきた上杉家。創業100年を超え、現在4代目の學師さん(42)が代を継ぎ、木地・下地・塗りを担当。蒔絵、金継ぎなどを母、早苗さんと奥様のみどりさんで分担する。
「家族でやっている小さな工房ですので量産は出来ませんが、丁寧なものづくりを心掛けています」と學師さん。特注品・一点モノの注文が多く、その制作には1年以上をかけることが多い。
他で断られてもココなら出来る。
いや、ココでしか出来ない。
そんな注文が多いのはおそらく、全ての工程が家族で完結する上杉家の強みと、
「人が出来ない事の方が好きなんです」
という學師さんの性格。
これが、上杉學師の根幹であり、後から紹介する「彫漆」へのこだわりも、この言葉に集約されていると思う。
學師さんは、大学卒業後一旦は木地師である父、実さんのもとで修業を始める。しかし当時、将来の方向性がしっかりと定まっていなかった學師さんは、家業を継ぐ前に石川県挽物轆轤技術研究所(山中)での技術習得の道を選択した。
「実は轆轤をやりたかったわけではなかった」
言葉にはしなかったが、恐らくすぐに家業を継ぐことへの抵抗感があったのではないだろうか。京都という土地柄、様々な職人さんに話を聞く機会が多いが、少なからず皆同じような事を話している。聞こえは悪いが、敷かれたレールに乗るということへの反発に近い感情が、若い頃は特に強かったと皆、口を揃える。學師さんにもそれに近い雰囲気を感じた。あくまでの私の勝手な印象だが。
さて、學師さんが学びの場として選んだ石川県挽物轆轤技術研究所とは、人間国宝の川北良造氏が所長を務め、全国で唯一、挽物轆轤技術を専門的に学べる研修施設。轆轤の街、石川県山中にあり、轆轤木工芸技術をはじめ、漆塗り全般に至るまで、漆器産業に関わる様々な技術を幅広く学ぶことが出来る数少ない場所。
何気なく入所を決めたこの研究所だったが、
「今考えると、ここでの時間で心の整理ができた」と學師さん。入所してからの日々は、取りつかれたかのように勉強した。日中は轆轤技術の習得に励み、夜間は、外部から専門講師を招いた、漆塗りの講義も受講。ここで、下地から塗りの基礎を学び、漆に魅力を感じるようになった。
修了後は京都に戻る予定だったが、それでもまだ
「何となく家に帰りたくなかった」。
漆に興味が強くなった學師さんはインターネットで香川県漆芸研究所の存在を知り、募集締め切りギリギリで入所を決意。香川へ渡った。
香川と言えば、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)の3技法で知られる漆器産地。いずれも塗りだけではなく、塗り重ねた漆を蒟醤刀や彫刻刀で文様を彫り込む独特な技法だ。家業でも山中でも木地を学んできた學師さんにとって「彫る」という技法はそこまで特別なことではなく、むしろしっくりきたという。中でも香川漆芸を確立させた玉楮象谷(たまかじぞうこく)が残した彫漆作品の数々に魅了された。今でもその影響を強く受けており、工房には彫漆の香合や棗が並ぶ。
写真提供/上杉満樹工房
私も出張で香川県には定期的に伺っている。もちろん漆芸研究所にも顔を出させてもらっているが、講師の方々や修了生の皆さんに聞くと、香川の3技法の中でも、実は「彫漆」で勝負する作家は一握りだという。
理由は、他の技法に対し、圧倒的に手間と時間がかかること。そして彫刻の技術がより問われるという難しさがあるという。作業を拝見しても、確かに気の遠くなるほどの、根気のいる仕事。様々な種類の色漆を使うため、時間も手間もかかる上に、必要な漆の数もまた多い。当然、販売価格も高くなるわけだ。漆器が日常生活からかけ離れている今、研究所修了後の若手作家には、ハードルが高く、担い手が少ないのもわかる。
しかし、學師さんの考えは真逆。
「人と同じことはしたくない」
「手間や時間がかかっても、極めたら誰にも真似できない仕事を目指したい」
その言葉通り、學師さんが京都に戻り、今、自分の武器としているのはまぎれもなく「彫漆」だ。
現在、工房には様々な仕事の依頼が寄せられる。茶道具などの京漆器の制作や修理はもちろんのこと、最近は須弥壇や宝珠などの仏具類や表具関係の仕事も増えた。金継ぎの依頼も多く、女性陣の手も休まることがない。
そんな中、自身の作品として発表するのは「彫漆」のものばかり。100回以上も塗り重ねられ、育て上げてきた漆の厚みを、自分のイメージした形に彫って造形する。
「この彫るという行為が好きなんですよ」とまるで少年のような笑み。
写真提供/上杉満樹工房
上の写真は、木地を作るのに2カ月。使う漆は16色。塗り重ねる事半年で160回。彫って仕上げるのに半年近く。1年以上をかけて作り上げるこの達成感は、彫漆の最大の魅力だと語る。
そんな學師さんが彫漆作品を制作するにあたり、今や欠かせないものがあるという。それが今回のテーマ『淺吉砥石』。販売開始からWEBサイトや口コミを中心にご好評頂いており、蒔絵や金継ぎといった用途で、数多く愛用頂いている。
漆の業界で良く使われる「針炭」や「棒炭」という用語。これは、天然炭や人工砥石をわざと細く棒状に加工し、細かな部分の研磨をするもの。しかし、炭も砥石も、思い通りの形状にするのが難しい。時間もかかるし、ボロボロに崩れてしまうことが多いのだ。
香川の産地では、「三和するが砥石」を棒状にして使用するのがスタンダード。数ある砥石の中で最もその用途に適していると評価が高く、漆芸研究所でも教材として使われている。ちなみにこの商品、当社と三和研磨工業の共同開発品(笑)。
しかし、この三和するが砥石も通常の砥石同様、固まりをカットして棒状に加工していく必要がある。上写真(左)のような彫った形にある程度の面がある場合は、上写真(右)のような三和するが砥石が最適だが、下写真のように、より細かな部分や彫り上げた立ち上がりの部分などの研磨は「淺吉砥石でないと出来ません」とまで話してくれる學師さん。
三和だと究極まで先端を尖らせるのが難しい上に、その細さでは強度が保てず、すぐボロボロになってしまう。そもそもの開発のきっかけはその弱点をカバーするため。細くても「折れない」をテーマに開発を進め、香川県の彫漆の先生方などにサンプルを使用して頂きながら、試行錯誤の上完成した。商品名につっこみどころがあるものの、幅4㎜、長さ100㎜、厚み1㎜のまさに棒状の砥石が誕生した。この形状にして、「折れない」ことは大前提、そこに「減りにくい」という特性も加わり、お陰様でヒットしている。1本1,500円(税別)と見かけ上、高い印象を受けるかもしれないが、実は減りにくく、コストパフォーマンスは高い。リピーターも多く、全番手を揃えられるお客様も多い。
では、學師さんにその使い方と利便性について聞いてみるとする。
まず、今回の「職人探訪」の趣旨を話し、取材を申し込んだ時、
「僕の彫漆は、コレがないと出来ません」
と期待通りのお言葉を頂いた。
掘り下げて聞いていくと、彫漆には淺吉砥石が最適、というよりは、上杉學師の彫漆に最適といった方が正しいのかもしれない。
上の写真は、新作の香合。見てわかる通り、かなり細かい溝がある。「この作品は淺吉砥石ありきです」と學師さん。このシャープさを出すには、ひとつひとつの溝の谷の部分や立ち上がりの部分にしっかり砥石を当てる必要がある。このような場面で淺吉砥石は最も活躍するという。
さらに下の動画を見てもらいたい。これは、現在制作中の合子。
見れば一目瞭然。頂点の本当に細かな部分をこの淺吉砥石で研磨している。耳を澄ませば、しっかり研げているのが音でわかる。よーく見ると、淺吉砥石の先端がかなり細く加工してあるのがわかるだろうか。作品の形状に合わせて、粗目の砥石で予め先端を尖らせて使っている。學師さんの場合、100㎜丈の砥石をダイヤモンド粒子の付いた卓上バンドソーで半分または3分の1ぐらいにカットして使用。これだけ専門的な機械でないとカット出来ないほど、強く折れにくいのだ。ちなみに、こうした機械は通常は無いわけで、多くの場合、そのままのサイズで使用してもらっている。
使う粒度は、#700→#1200→#3000。ある程度「面」を必要とする場合は、三和するが砥石やクリスタル砥石を使用。學師さんは使用していないが(というよりもこちらの提案不足)、#700に限って3㎜角の淺吉砥石もご要望に応えてご用意。これなら多少の「面」にも対応出来、先端の加工次第で、用途は広がる。
三和にせよクリスタルにせよ、通常の人工砥石は、砥粒の結合体で、研磨していると粒が脱落していき、減ったり、その粒が絡んで傷が入る。それに対して淺吉砥石は、繊維の集合体。100㎜丈の細い繊維が結合しているため、細くても折れにくく、砥粒の脱落も無いため減りにくく、傷も入りずらいというわけだ。
「形がずっとかわらないのでノンストレスです」
さらに、メリットともデメリットとも言える特徴が、縦長の繊維の結合体の為、その両端でしか研磨出来ないこと。三和の場合、砥石360度全てが研げるため、下面も横面も同時に研磨出来るというメリットがあるが、逆に、ある一点だけを研ぎたいのに、別の面に砥石が当たると、傷が入ったり凹んだりしてしまう。しかし、淺吉砥石は、先端でしか研げないため、他の場所を傷つけることなくピンポイントで研磨できる。
いずれの砥石もそれぞれメリットとデメリットがあるわけで、その場面場面で使い分けて頂く必要がある。まずは一度お試し頂きたい。
さて、自分なりにわかりやすく書いたつもりだが、おそらく疑問点も多いはず。わからないことがあれば森住(もりずみ)まで何でも聞いて下さい。また、「実はこんな使い方してる」というご意見もお待ちしています。
ご連絡はこちらまで urushiya@kyourushi-tsutsumi.co.jp
ご注文はこちらから
https://www.kourin-urushi.com/?mode=cate&cbid=2357092&csid=0
今回は、「彫漆」における淺吉砥石の使い方をレポートしたが、金継ぎ編や蒔絵編も今後考えている。こうご期待。
そして次回は、これも問い合わせの多い「ガラス漆」について、ある方にお話しを聞いている。お楽しみに。
筆者/株式会社堤淺吉漆店・森住健吾 Facebook Instagram
プロフィール
神奈川県南足柄市出身。私立桐光学園高等学校にサッカーのスポーツ推薦で入学。在学中、インターハイ3位、全国高校サッカー選手権大会準優勝。日本高校選抜選出。その後、専修大学に進学。体育会サッカー部所属。関東大学サッカーリーグ2部新人賞受賞。卒業後は、仕事とサッカーを両立できる京都の佐川印刷株式会社に就職(サッカーで)。日本フットボールリーグ(JFL)に所属し、選手として活動しながら、人事部にて採用活動に従事。度重なる大けがで2度の手術を経験。サッカー選手を引退し、退職。地元神奈川に戻り、高校時代に取材を受けた株式会社タウンニュース社に就職。茅ヶ崎編集室・厚木編集室にて記者・副編集長を兼務。入社2年後に結婚。相手は遠距離していた京都の漆屋の娘。2児の父となり、そして今、なぜか漆屋で働いている。