夜久野にて
漆は木の樹液。10年~15年の成木から牛乳瓶1本分ほどしか採取出来ない、貴重な自然の恵み。この樹液を採取する重要な役割を担うのが漆掻き職人の方々だ。現在(平成28年9月26日時点)日本最大の漆の産地、岩手県二戸市浄法寺では、20人の漆掻き職人が活躍しているが20代はゼロ。高齢化と後継者不足は深刻な問題だ。
漆の木は、日本全国に生息はしているものの、産業として成り立っているのはごくわずか。そしてその全ての産地で同様の問題を抱えている。そんな中、京都府福知山市夜久野町では、若き漆掻き職人が活躍している。山内耕祐さん(28歳)。山内さんはなぜ漆掻き職人の道を選んだのか。今どんな想いで仕事に取り組んでいるのか、そして今後どんなビジョンを描いているのか。仕事に密着し、話しを聞いた。
未来を担う若き漆掻き職人
丹波漆 山内耕祐
京都府西北部に位置する夜久野町。かつて「丹波漆」の産地として栄え、明治時代には500人を超える漆掻き職人がいたと言われている。日本全国で約30か所以上とも言われていた漆の産地は、時代とともに次々と消滅し、現在ではごくわずか。そんな中、丹波漆の歴史を継承し、今なお3人の漆掻き職人が活躍する夜久野。山内さんはその内の一人で、若き後継者として期待が寄せられている。
作り手から掻き手に
京都府城陽市生まれ。漆を本格的に学び始めたのは京都市立銅駝美術工芸高校に進学してから。漆を扱ううちにその魅力に引き込まれていった。卒業後は富山大学芸術文化学部に進学。漆工芸を学び、作品制作などに没頭した。
転機は卒業後の進路について考え始めた頃。「京都に戻って漆関係の仕事がしたい」と漠然と考えていた時、京都府内で漆掻きをしている地域があることをインターネットや京都府の広報紙で知った。そこで紹介されていたのが、後に師匠となる岡本嘉明氏。興味が沸いた山内さんは、岡本さんに直接連絡を取ろうとしたが、連絡先がわからず、丹波漆普及活動の拠点「やくの木と漆の館」に問い合わせ、見学に行ったという。
実際に岡本さんのもとで漆掻きを体験した山内さんは「漆掻きの魅力も感じたし、この技術を大切にしていかなければいけないと思った。後継者不足の問題や、木が足りていない現状も聞き、今後漆と関わっていく上で、この現状を聞いた以上、自分がやらなければならない」という衝動にかられ、気付けば漆掻き職人の道に。平成25年から岡本さんに従事。日々漆掻きの技術を磨く中で「漆は人が山で木を植えて、育てる。その木から樹液を頂いて、それを大事に精製して、木に塗られる。そうしてようやく器が出来る。この一連の営みが素晴らしい」と漆の魅力を感じ、その一旦を自分が担っていることに、誇りを持っている。
植樹だけでは木は育たない
漆の木を増やすにはいくつかの方法がある。浄法寺では種子から苗木をつくる方法(実生苗)が用いられているのに対し、夜久野では根の一部を分けて植え、発芽・繁殖させる分根の手法がとられている。いずれの方法も時間と労力、経験が必要で、簡単に出来るものではない。植栽して数を増やしても、植えただけでは成長しない。そこから管理して育てていくのは、山内さんら3人が中心。
消毒や草刈り、追肥などを繰り返し、成木になるまで10年から15年。やっと漆を採取することができるようになるのだ。植栽していくことは大事なことだが、そこまでいくのにさえ、大変な苦労があることを理解し、植栽してからも生育させるために地道な作業が繰り返されていることを忘れてはならない。
漆掻きのシーズンは毎年6月初旬~9月末頃。これだけの時間と愛情をかけて育った漆の木は、この約4ヵ月間で樹液を採取し終えると伐採されてしまう。少しせつない気持ちになるが、その伐採された切株からは、「ヒコバエ」と呼ばれる若芽が顔を出し、新しい命が芽生える。このヒコバエを成長させ、また漆を採取する。こうして漆の命は繋がっていく。
夜久野で採取出来る漆の量は、今のところ年間3㎏~5㎏程度とまだ少ないが、この採取された貴重な漆は、やくの木と漆の館などで一滴も無駄にせずに使われている。いずれは、収穫量を増やせるように、地域住民や漆関係者らがボランティアで毎年植樹活動も実施している。
また、地元の子どもたちを対象にした植樹や漆掻き体験も行うなど、漆を身近に感じてもらう草の根運動も続けている。子どもたちからは、「将来、漆掻き職人になりたい」などという言葉が聞けるようになったり、体験の後に渡された寄せ書きには「10年後、大人になったら自分で植えた漆を掻きたい」といった言葉も記されるようになった。「そういう感情が子どもたちの中に少しずつでも増えていけば、本当の意味で丹波漆の再生の力になると思います」と山内さんは話す。師匠の岡本さんは地元の子どもたちから「漆掻きのおじさん」として有名だとか。自身が漆掻き職人になってから、徐々にではあるが、地域の中で漆を身近に感じてもらえるようになった実感があるようだ。
未来の後継者たちのよき道しるべに
今年から新たに吉川さん(27歳)が漆掻き職人として加わった。丹波漆にとって明るい話題だ。しかし、現実は厳しい。丹波漆を再生させ、生産量を増やすにはまだまだ課題は山積している。もちろん将来の人材確保、後継者育成もその一つ。若い世代に仕事として漆掻きを選択肢に入れてもらえるまでは、道のりは長い。「丹波漆としては、生産量を増やし、もう少し大きな規模の植栽地を管理していく必要がある。そうすることで、植栽はこれだけあって、漆掻きはいつからいつまででこれだけの量、といった仕事のアウトラインが見えてくるはず」と山内さん。
「漆をどれだけ掻いて、どれだけ売ればこれぐらいの収入になるといったことが分かれば、ここでの生活のイメージがしやすくなる。そうなれば、若い人たちも自分の人生設計の中で、まずはそれが出来るのか出来ないのか、あるいはやるためにはどうしたらよいのかを考えやすくなる」と話す。「自分自身も手探りで入って不安もあるが、そこを乗り越えて行きたい」と力強く語る。山内さんと吉川さん、2人の若き漆掻き職人が未来の漆掻き職人の道しるべになっていく。
オール漆(ジャパン)で伝える「本当の価値」
漆を身近に感じてもらうには、ここ夜久野のように、実際に見て体験してもらうことが必要。だが、現実に夜久野と同じような取り組みが出来るところというのは、産地であるところ以外は難しい。漆を知らない人たちにもっと漆の魅力を伝えるにはどうすべきか。漆掻き、漆屋、漆の使い手、問屋さん…。漆に関わる人たちが、自分の持ち場で自分の仕事を通して漆の魅力を発信していく必要があるのではないか。今回、山内さんの取材を通してよりその必要性を感じた。「漆はどのように採取され、精製され、塗られるのか?」。このことを漆に関わる一人ひとりが、知らない人たちに広めていく。ただ広めるだけではなく、「貴重な漆の命を頂いている」ことを理解し、様々な工程のいろんな人の想いが込められていることを伝えることで「大切に使おう」「壊れても直して使おう」といった気持ちをもってもらうようにしていきたい。
例えば1客5,000円の漆塗りのお椀。100円でお椀が手に入る今の時代では、ほとんどの人が「高い」と思うはず。でも漆掻きをする山内さんの姿が思い浮かんだり、命を振り絞って漆を出してくれる木の尊さを思い出したりすれば、5,000円は高くない。「安いから壊れたら捨てる、買い替える」という発想は出てこないはずだ。
私たちが今すべき事は、漆を通して「物を大切にする心」「繰り返し使い続けることで生まれる愛着」「世代を超えて受け継いでいく気持ち」、こうした考え方や価値観を伝えていくこと。漆には必ずその力がある。それこそが本当の価値ではないだろうか。